中小企業の事業承継問題が、巷間大きな問題として叫ばれているにもかかわらず、多くの企業で承継に向 けた計画的な準備がなされていない。たとえ後継者が既に決まっている企業でも、その準備状況は不十分とい わざるを得ないこともしばしばである。本稿は、承継計画を十分に準備していなかったことにより発生した問 題とその解決の道程を、今後残された課題とともに記す。

企業再建・承継コンサルタント協同組合
中小企業診断士 渡辺 正幸

日本の中小企業数は、企業数で全体の9割以上、法人・個人事業主を含めると約433万とされている。また雇用の面においても約7割を占めている状態である。平成13年に中小企業庁が実施したアンケート結果によると、全体の4割強の経営者が、事業の承継に当たって何らかの障害があると認識している。後継者の確保をはじめとする承継問題が、多くの中小企業経営者の悩みの種となっていることがわかる。

後継者の決定状況に関する調査結果では、「既に決めている」と回答した企業は全体の約43%にとどまっている。しかし、中小企業の経営者の引退予想年齢が平均で約67歳となると、全国の過半の企業において今後10年程度の間に承継問題への対応が迫られることになる。

一方、その候補者がいる場合でも承継に失敗する例は存在する。経営者の死去とともに、資産の譲渡が絡んだり、経営に関する負託を受けるなど想像を超える問題が発生することがある。

また、親族間に限らず、先代の経営者が承継に対する対策を行っていなかったため、先代経営者の保有株式が事業に関係ない相続人に分散するなどして企業の経営に混乱をきたすケースもある。

このような問題を抱えた企業は、社業の発展どころか経営に悪影響を及ぼし始め、最終的には従業員の生活にまで影響を及ぼすこととなる。

承継問題が大きな問題にもかかわらず、多くの中小企業で承継に向けた計画的準備がなされていないことも事実である。「後継者が既に決まっている」としている企業においても、その準備状況を調査すると、「十分に準備している」と回答した企業は2割弱であったりする。

今回紹介する事例は、承継計画を十分に準備していなかったことにより発生した問題を今後残された課題とともに記すものである。

その日の仕事を終えて事務所に戻って間もなく、一本の電話が入った。A社長からであった。このA社長の会社は2001年のITバブルの崩壊によりIT関連の部品等を製造していた事業部門の売上が急減少し、資金繰りの危機に陥る中で事業再生をいかに進めるかでお付き合い頂いたのが始まりである。それから約2年ばかり関与することになったが、コア事業を中心とした事業の再編成を実施することによって新たな成長への道を進み始めていた。

電話の内容は、「実は先日病院で癌と診断された、これからしばらく入院しなくてはならない、役員には話したが心配なので是非彼らを援助してほしい」というものであった。驚きと同時に私の頭をよぎったのは、万が一のことがあった時「後継者は誰なのか」であった。決まっているのか、それともいまだはっきりしていないのか、このような質問をしようと思ったが、ことが事だけに切り出せずに、「できるかぎりのことはします。心配なさらずにゆっくり休息するつもりで徹底して治療して下さい」と応えて電話を切った。電話を終えてからもう一つ心配事が頭の中に浮上した。それは、「創業者一族の保有する株式の問題はどうなるのだろうか」ということであった。

翌日、会社の管理部長に電話をし、事情を話すと「社長から聞いております、よろしくお願いします」との言葉が返ってきた。早速会社を訪問しA社長との話の最中に頭をよぎった後継者問題について質問してみたが、管理部長は「私は何も聞いていません、他の役員も聞いていないと思います。ずっとトップダウンでやってきましたから」。案の定、心配の一つは的中したのである。

入院先からの詳しい診断内容は、それから一週間ほどして出されたが、悲観的な結果であった。そして、この電話があった3カ月後にA社長は帰らざる人になった。

そして、入院の連絡の入ったその日から、コンサルタントと会社役員、そしてA社長の家族の間で喧々諤々の日々が展開されていくことになる。

ITバブルの崩壊による売上高の減少は大変なものであった(図表1参照)。もともと精密部品加工の分野では高い技術力を有しており、オートバイ関連精密部品加工を専門にし、この部門は安定的に売上、利益を計上していた。しかし15年ほど前から部品加工分野を広げる戦略を展開してきており、この新規開拓分野がIT関連の分野であった。それだけに、ITバブルの崩壊はこの新分野に壊滅的打撃を与えることになったのである。

コンサルタントの助言を入れてA社長は、いち早く事業再生の方向を決断した。IT分野からの全面撤退とそれまで決断ができなかった不採算部門の電線加工分野からの撤退である。そして、従来からの主力部門でありコア事業でもあるオートバイ精密部品加工分野に事業を絞り込むことになった。こうした事業再編成の決断は、それまでいた60名の従業員を25名まで削減せざるを得ない状況になり、身を切られるような決断であったと思うが、これを3カ月でやり切ったのである。

退職者の全てに退職金規定に定められた会社都合による退職金を支払うことになったが、A社長自身が自らの資産を提供しても退職金問題は解決したいとの強い意志が金融機関をも動かすことになりこの問題は解決した。危機に遭遇したときにこそ人間は本当の姿を見せるといわれるが、このときはこのことを実感すると同時に、中小企業の事業再生におけるトップの資質と能力、再生への姿勢が如何に重要であるかを痛感した。その後は、冒頭でも述べたように順調に利益を計上し、着実に事業再生を図ってきている。

当社は同族会社ではあるが、他の同族会社とは少し違っていた。創業者は戦後間もなく兄弟で始めた会社である。兄が社長、弟が専務として部品加工の下請けから始めて技術特許を取得して加工技術の差別化を図り、これを契機にオートバイの精密部品加工の仕事で成長してきた会社である。そして、20年ほど前に兄が会長に退き弟が社長に就任したが、この辺りから労使関係で失敗し、社内に問題が絶えない状況が生まれるようになった。弟の社長は、それまで懇意にしていた同じオートバイ部品加工をしている友人に会社建て直しを相談。この相談があって1年後にこの両者は合併する。新たな合併会社の社長にはオートバイ部品加工をしていた友人が就任し、本人は会長に退くことになる。事業再生をリードし、そして急逝したのはこの社長(A氏)である。創業者の一人である会長は子息を取締役として就任させており、ゆくゆくは後継者にと思っていた。この会長が数年ほど前から痴呆状態になり、A社長が急逝したときは入院せざるを得ない状況になっており、正常な判断がおぼつかなくなっていたのである。後日談であるが、その1年前に創業者の一人である兄も亡くなっていたのである。後継者についてどのように考えていたかを知る人が誰もいなくなってしまったのである。さらに、取締役に就任していた会長の子息も暫く前から病気がちで入退院を繰り返し、誰の目からも経営の激務をこなせる状況になかった。株式についても創業者とその子息等の一族と急逝したA社長が保有する株式は20%であり、現役員3人の持ち株は僅少であった。この株主構成についての対策も何もとられていなかったのである(図表2参照)。

後継者問題についての準備が整わないうちに社長が急逝するようなことは、混乱以外の何者でもない。A社長の入院が告げられたとき現役員3人は当初はどうしていいのか途方にくれるといった感じであった。このようなときにこそ第三者等のアドバイスに冷静に耳を傾けて判断できる役員がいるかどうかがポイントになる。それも、時間をかけて検討する余裕はない。何時までも後継体制が決まらなければ信用不安が起こり会社そのものが危うくなる。そこで、現役員陣にこのような場合の以下のような意思決定の基準を準備し、個別にコンサルタントが相談することとした。

①事業基盤の評価と事業価値の程度
②上記の評価に立った選択肢はどのようなものがあるか
③保証人になるということの意味
④主要株主、債権者、取引先の理解と協力が得られるか
⑤後継体制が決まらなかった場合のリスクとはどのようなものか
⑥創業者一族のこの危機に対する会社存続についての考え方の聴取

A社長から入院するにあたって頼むといわれていたことは、このようなコンサルティングを求めているのであろうとの判断からである。また、面会が可能な日を選んでA社長を訪問し、後継者についての考えを問い質した。A社長としては、現営業部長を考えていたのだが、つい切り出せずに今日まで来てしまったこと、もし引受けなければ会社売却もやむを得ないと思っていたことを話してくれた。この時、営業部長が後継者として適任かといった考えが頭をよぎったが、現役員からということであればそれしかなく、遺言のつもりで実現に全力をあげようと思った。

当社は、ITバブル崩壊の影響で一時的に経営危機に陥ったが、A社長の適切な対応により危機を脱却し、着実な歩みを始めているところであった。オートバイの精密部品加工のコア事業は十分な競争力を持っており、その技術力には定評があった。したがって、存続発展か、それとも売却か、という選択肢が浮上してきたのである。また、存続発展を選択した場合には、社長を引受ける者が借入債務に対する個人保証を現社長に代わって引き継がなければならないこと、それは会社の命運と自らの財産の命運が一緒になること、したがって、十分考えて自らの考えを決めることが必要であることを一人ひとりに伝えた。

こうした、後継体制についての現役員の考え方を聴取しながら、創業者一族とA社長の家族の会社存続に対する意見を聴取した。創業者一族の元会長は既に亡くなっており、相続財産として株式を相続した元会長夫人からの意見を聴取する必要もあった。元会長夫人は会社のことはわからないが、元会長が創業した会社なのだから存続発展できるなら協力するという意見をもらった。また、現会長は、既に痴呆が進行しており入院中のこともあり、ここも現会長夫人からの意見聴取になった。ここも、会社の存続を第一に考えてやってほしいとの意見をもらった。ただ、病弱で入退院を繰り返す、取締役である子息の今後についての心配が出され大変悩んでいた。また、A社長の家族にも意見聴取を行ったが、社長夫人は既に他界しており、子女二人である。どちらも既に結婚し独立しており、二人からは相続問題が速やかに解決されること、個人保証を相続財産として絶対引き継ぎたくないこと、この二点さえ解決されれば、会社はA社長が人生をかけて取り組んできたことだから是非とも存続させ発展させてほしいというものであった。幸いなことに創業者一族と現社長の家族の全てから、可能であれば現役員から後継者を選定して会社を存続させ発展させてほしいとの希望が表明されたのである。

現役員3人の会議を招集した。このときまで誰にも社長から直接聞いた後継者指名については伝えていなかった。この会議での3人の意見を聞いてから提案しようと考えたからである。「存続か売却か」を考えてほしい旨は既に伝えてあった。会議の冒頭、以前に3人に話した「存続か売却か」「存続ならば誰が社長をやるか」これについて結論を出していきたい旨を話した。沈黙の一時が過ぎる。誰も発言しない。そこで、A社長から聞いてきた後継者指名について切り出そうかと思った矢先、営業部長がおもむろに「私がやります。会社はこのまま存続させます」と発言。後日談であるが、会議前に3人で話し合ったそうである。会議が始まって15分で結論が決まった。

決まったなら、何事も先手必勝である。A社長を代表取締役会長へ、現営業部長を新代表取締役社長への選任手続きを速やかに行うこと。また、この手続きと併せて、主要取引先、同族以外の主要株主、金融機関、そして従業員に後継体制が決まったことを知らせ信用不安が起こるようなことのないように万全の対策を取ることを申し合わせこの会議は終わることになった。人というのは立場によって変わるものである。コンサルタントとしては不安を感じていた営業部長が「私がやる」といった発言以降、それまでは考えられなかったリーダーシップを発揮した。得意先や金融機関に対する対応も先手必勝を地で行くような行動を見せた。行く先々で励まされたらしい。

こうした経過を経て、取引先や株主そして金融機関も認める後継体制を確立したのである。それから2カ月後会長は亡くなった。葬儀も無事終わらせて間もなく定時株主総会が開催された。同族以外の株主は出席してくれて新体制への励ましの言葉を頂戴することになる。これを聞いてホットしたものである。電話があった日から5カ月が過ぎていた。

終わりに~今後に残された課題

株主構成からも判るように現役員の持ち株数は僅少であり経営支配権の点では問題を残している。今後、同族及びその他の株主の株式を支配権確立という視点から集約しきれるかどうかである。現役員3人で買い取る方向か、それとも会社として買取り金庫株とするかといったことを含めて検討が続いているところである。

また、個人の連帯保証の問題がこの後継体制問題が発生すると同時に起こっていたが、この事例を執筆する直前に解決した。前社長(A氏)は、個人の定期預金と土地を担保に提供していた。家族にとっては相続財産であるわけだが、子女二人は前にも述べた通り保証債務は絶対引き継ぎたくないとの意向であることからこの点をも考慮した解決を図らなければならなかった。また、金融機関としても担保の定期預金と土地について何とかいい方法はないかとの立場から協力的に対応してくれた。そこで、定期預金については家族から会社が借入れる形にして、担保定期預金を会社の名義に変更することになった。また、土地については地方で評価額が低いこともあり、会社が担保定期預金の上積みにより対応可能ということで話がまとまった。この担保問題の解決を通じて連帯保証の現社長への変更が諒承された。

最後に、事業再生で相談して以来何かにつけて支援をしてきたメイン金融機関の協力が、企業承継問題の解決にも大きな役割を果たしたことを付け加えておく。